ロマンに満ちた歴史の一コマ
亡き祖母五十嵐操の思い出
2016.05.21 Sat私の母方の祖母は秋田の出身で、とても良い家の出だと聞いたことがあります。
80代後半まで一人暮らしをしていて、鎌倉彫や和歌の勉強など、意欲的に動き回っていました。
また話好きで、晩年は自身の育った頃の話をよくしてくれました。
ただその祖母の話があまりにハイカラすぎてハイソすぎて、私の中では、『もしかして想像力豊かなおばあちゃんが、とうとう少しボケてきてこういう話をするのかな?』と思っていました。
祖母は明治42年頃の生まれで、今生きていたら、105歳以上になります。
その祖母の父親である東山健治という人が、秋田県由利郡というところで仕事中に石油の井戸を掘り当てて、あまりの石油の量に、当時の帝国石油から合弁の話があり、私から見たら曽祖父になる東山健治は重役として帝国石油に迎え入れられたと言います。
祖母が小さかった頃、新潟県柏崎市に家があり、秋田と新潟を行ったり来たりする東山健治を除く家族は皆柏崎市に住んでいたそうです。そこで、祖母の母は、よく白のブラウスに、白のロングスカートを履いて、庭にある4面のコートで、よく庭球をしていたそうで、下男下女が球拾いをしていたというのです。
しかも祖母が女学校に通うときには、列車での通学で、下女が本とお弁当を風呂敷に包んで持ち、祖母は、可愛らしく髪を結い、下女とは別の等級の列車で学校に通い、決して並んで歩いてはいけないと教育されたと言います。
あくまでも祖母が前を歩き、下女はずっと離れて後ろを歩くようにしていたそうです。
食事は、当時では珍しく、当主夫妻から使用人まで一緒に食事をとったそうですが、当主から順に上座から座り、子供達、そして使用人と並んだそうですが、使用人は、決して座敷に上がることは許されず、土間にて食事をとったというのです。
この話が東京や横浜の話であれば、疑うこともなく聞いたかもしれませんし、また私が知る限りにおいては、祖母もそして母の兄弟たちも、中流階級の生活でしたので、秋田や新潟で100年以上も前にそんなハイカラな格好をして庭球をしている人がいたことや、2000人近い人を雇い一つの村まで作っていたという話し自体信じられませんでした。
祖母がこの世を去り、随分と時間が経った昨年、妹が遠出を嫌がる母を、どうしても今のうちに母が育った場所巡りをしたいということで、新潟方面へ連れて行きました。
思いの外元気に旅行ができ、戦争中に疎開をしていた東山健治の家に立ち寄ったり、いとこにあったりしてきた母に、祖母から聞いた話について、確認してみました。
すると、祖母の話はすべて本当で、決して祖母がボケてそんな話を作り上げたということではなかったということがわかりました。
しかも母からもさらにハイカラな話がたくさん出てきて、不思議な気持ちになりました。
帝国石油といえば現在の国際石油開発帝石株式会社。この会社のHPには昭和16年以前のことは書いてありません。
ただ、日本の石油産業の歴史を調べていくと、明治23年(1890年)には東山油田の話が出てきます。
明治26年にはパートナーと二人で米国製掘削機を輸入して成功し、日本石油会社と並ぶ2大石油会社の一つになったと記録に残っています。
祖母の兄が曽祖父の後を継いで事業を継続したそうですが、子供に恵まれず、家は絶えてしまいました。
これから先は、もうこういったロマンに満ちた歴史の一部を知っている人がいなくなると思うと、こういう機会に自分のルーツの一環に触れられたことは幸せなことだと思いました。
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