苦しかった頃の、忘れられない『コスモスの花束』

2016.09.17 Sat

私が会社を立ち上げて3年ほど経った頃のこと、仕事がなかなか軌道に乗らず、
毎日毎日『背伸び』することに疲れ果てていました。
 
会社を立ち上げると、取引先や銀行などたくさんの目が新米の起業家を査定すべく見ています。
いくら大変でも、その大変さを表に出したら、取引先は不安を覚えて、仕事をくれなくなります。
また銀行も、不良債権は欲しくありませんから、不景気そうなオーラを出していると、お金を貸してくれません。
 
背中をピシッと伸ばして、いつも笑顔で明るく振る舞うことが重要でした。
しかしそうあることは、実情とは真逆のことが多く、私にとってはとても苦痛な『背伸び』でした。
 
新米の起業家は、経験値が低く、また相談したくても、なかなか事情をわかってくれるような人が周りにはいません。
ですから一人で抱え込むことになってしまいます。
 
私の喉元にはいつも泣くことを我慢した時に起こる痛みがありました。
その痛みは日をおうごとに大きくなっていくのを実感していました
 
そんなある日、都内で取引先の方々と会食をし、色々なアドバイスをいただきました。
ただ、そのアドバイスは、現状を直接よくするためのものではなく、当時の私にとっては絵に描いた餅のようなものでした。
 
会食後、山手線に乗った時、一人の男性が数人の同僚に見送られて、花束を持って乗ってきました。
「頑張れよ!」という声援に送られていたので、きっと退社するのかな?と思いました。
 
考え事をしながら、その花束があまりに優しそうなコスモスだったため、きっと見入っていたのかもしれません。
当時は上越新幹線が上野と東京間が開通していなかったため、上野駅で下車しました。
 
するとその花束を持った男の人も上野駅で降り、常磐線に向かって歩いているようでした。
すると突然その男の人が、横を歩く私に花束を手渡し、「もらってください!」とだけ言って、常磐線のホームに駆け下りていってしまいました。
 
一瞬、驚いた私でしたが、花束を手にした瞬間、今度は涙がこみ上げてきました。
花束をくれた男性の優しさが嬉しくて、コスモスの花が歩くたびに小さく揺れて私の顔を見上げては、「大丈夫?」といってくれているようで。
 
花束を持っていると、泣いていても、周りの人は、きっと何かの別れがあったのだろうくらいにしか思いません。
結局上野駅から高崎駅まで小一時間、こみ上げてくる思いと涙を思い切り流しました。
 
不思議なことに、高崎に着いた時には、もうあの喉元の痛みは無くなっていました。
 
頑張ることも大切、我慢することも大切。
でも、いっぱいいっぱいになったら、思い切り涙することも大切なんだと私は思います。

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