ほろ苦い思い出の、お誕生日http://yoshiko-buell.com/archives/1082会とケーキ。

2016.09.03 Sat

私の記憶の中で、あまり思い出したくない思い出は、私自身の7歳のお誕生日です。

小学校の1年生になった頃、お友達がお誕生日会をしているのを理解していた私は、自分の誕生日、11月29日に、お友達を家に招待したいと密かに思っていました。
 
学校が終わる頃、お友達に「今日は私の誕生日なので、遊びに来て。」と言いました。
男の子が3人に女の子が3人。
男の子たちは、「七五三」の時に着たようなスーツを着て、お花をもって私の家に来てくれました。
 
ところが当時の私の家で出せるものと言ったら、クッキーとカルピスだけでした。
私は、留守を預かる明治生まれの祖母に「お誕生日」だということが言えませんでした。
 
ケーキを期待していたのに特に特別なものが出てこないため、男の子たちは、「おまえんち、つまんない〜」といって帰ってしまいました。
男の子達のイデタチを見ていた祖母が、「何であの子たちはあんな格好で遊びに来たの?」と問い詰めたので、
そこで初めて「今日は、私の誕生日だから。」と私は小さな声で答えました。
 
悪いと思った祖母は、急いで大判の板チョコを人数分買いに行って、それぞれの子たちに渡しました。
 母はそのことを祖母に伝え聞き、その翌年から母の仕事がお休みの日に誕生日会を開いてくれるようになりました。
 
母が結婚したのは若干20歳の時。
21歳で私を出産しました。ですから母はこの頃まだ28歳だったということになります。
 
当時の私の育った家はごく普通の公務員の家庭でしたが、祖母に祖父が相次いで入退院を繰り返し、大きな手術をしていましたので、きっとかなり懐事情は悪かったのだろうと推測します。
しかも私が長女ですから、母にしてみると、そこまで気が回らなかったのだと思います。
 
でもこの思い出はかなり私の記憶の中に鮮明に残っているマイナスの思い出だったため、自分が親になった時に、
とにかく子供達の誕生日にはケーキを焼いてあげたいと思い、いろいろなアイディアでケーキを焼いてきました。
 
チョコレートのオレオクッキーをたてがみに見立ててライオンのケーキを作ったり、コーヒーの空き缶のサイズ違いを使って
ヨーロッパのお城を作ってみたり、お人形の形の可愛いケーキを作ったりと、様々なケーキを作ってきました。

時々当時のアルバムを見ると、ちょっと複雑な気持ちが蘇ります。

無題
<長女の4歳の誕生日に作ったライオンケーキ>

無題2
<長男の2歳の誕生日に作ったお城ケーキ。。。これはコーヒー豆の空き缶を使って焼き上げた力作>

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