おばあちゃまが遺してくれたフランス食器

2018.06.02 Sat

私が夫と結婚したのは、大学生の時です。
私の両親は国際結婚、そして学生結婚に大反対。
父からは『絶縁状』なるものが届き、結婚式には日本からは誰も出席する人がいない寂しいものでした。

夫の両親も、東海岸の小さな街プリンスエドワード島出身だったため、白人と黄色人種の結婚に良い印象は持っていませんでした。

あまりに反対されると、そこまで熱がなくても、若者の気持ちは高ぶるので、今思えば、あの時に、もっと周りがクールだったら、もしかすると、夫とは結婚しなかったかもしれないと思うことがあります。

そんな中、結婚式に83歳と84歳だった夫の祖父母がプリンスエドワード島からわざわざ来てくれました。
その祖父母だけが、無条件に私を受け入れ、夫との結婚を心から喜んでくれたのです。

特に祖母は夫が学生の時から、学費の助けになればということで、共同名義口座を開設して、夫の援助をしてくれた人です。その祖母が
「芳子にあげたいフランスの食器があるの。大戦中に工場が燃えてしまって全部の種類が揃わなかったし、ボールやカップは手作りだからパーフェクトではないけれど、とても素敵なの。Limogesというブランドよ!」
と話してくれました。
当時、カナダやアメリカでは、クリスタルやチャイナウェアという食器類は自分らしいものを集めるのが普通でした。

ところがその2年後に祖父母がなくなり、お葬式の旅から戻った義母が、とても嬉しそうにその食器を持ち帰り、
「素敵でしょう?もう手に入らないものよ!」
と言いながら、彼女の食器棚に綺麗に飾るのを見て、
「それ、おばあちゃんが、私にくれるって言っていました」
とは言えませんでした。

2014年に義母が亡くなり、葬儀のためにカナダに行ったとき、同居していた義姉にこの食器のことを話すと、
「あら〜芳子が欲しかったの?もうみんなに分けちゃったわ!」
とのコメント。
一番大きなミートトレーが残っていただけで、それ一枚を義姉からもらって、がっかりしながら帰ったのを覚えています。

ところが今回の旅で、コンドミニアムの新しいキャビネットの扉を開けた時、全てではありませんでしたが、あのおばあちゃんが持っていたLimogesの食器が入っていたのです。
あの後、義姉が自分の子供たちに呼びかけて、あるだけの食器を集めてくれたのでした。

今回は持って帰れませんでしたが、一つ一つを手にとって、とても幸せな気持ちになりました。
いつかこれでお食事をみんなに振る舞いたいです。
そして、『おばあちゃま、ありがとう!』と心の中で何度も復唱しました。

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